お取り込み中大変申し訳ないのだけど、右手に持ってるハサミを置いて少し話を聞いてくれないかい?
といっても何も頭に入らないだろうから聞き流す感じで大丈夫。
君は今自分がどういう感情かコントロールできないくらいショックを受けていて、とてもしんどいよね。
全く未来が見えなくてどうしようもなくて、ただ自分も死にたいっていう感情で溢れちゃうんだよね。わかる。
ある人の話をしようか。
君と同じく、心の中の軸を失ってしばらく自暴自棄になってた。
むしろ、失ってからそれが軸ってことに気づいたのかな。
でも時ってすごく過去の嫌なことや悲しみを緩和してくれるようで、半年も経てば割と元気な姿に戻ってた。
さらに心の軸から派生していろんなジャンルに飛び込んでいったりと、積極的な性格になっていたかも。
ただ遊びに集中しちゃったせいか勉強面ではあまりやる気がないみたいだったけど。
幸いなのは心の軸は全て失ったわけではなくて、残ったピースがあったこと。
徐々に徐々にピースは元の形へと繋がって、1〜2年後にはあっという間に原型に近い形に復活した。軸がなくなったあと、普通はピースがバラバラになることがほとんどだけど、こうやってまた新しいパズルが完成していくことに周囲はびっくりしていたな。
当の本人は最初は完全なる原型じゃないと嫌だ!って反論してたけど、慣れていくと柔らかくなるもんだね。ゆっくりと受け入れていたね。
元々の軸を大切にしながら大きくなっていったパズルは、2015年に大きな玉ねぎの下に登場した。授業の皆勤賞を狙っていたその人はメモリアルデーは例外だ!!!と授業を早退して玉ねぎの下に走っていったね。あれは本当にはたから見たら可笑しな人だよ。
とは言え早退したから間に合ったし、奇跡とも呼べる瞬間を生で見れたし良かったんじゃないかな。
心の軸も当日はどこかで見ていたのかもしれないね。
彼女はその後も応援し続けていたし、他にも応援する人が増えたおかげで、少しずつ心の軸が有名になってきた。
そしてついに兼ねてから出演希望と願っていたテレビ番組に登場したよ。
その時に彼女は生きてて良かったと思っただろうし、時の流れにもびっくりしただろう。
そして、心の軸を失ってから10年。パズルは城の下に登場した。彼女は大切な人と行ったみたいだね。
玉ねぎの下では心の軸がちょっと見えていたけど、城の下ではいなかったような気がするな。でももういいんだ。後ろばっかり振り向いてもしょうがない。これからもずっと全力で走っていくんだから。
彼女?今すごく元気だよ。ぴんぴんしてる。
残ったピースが繋いでくれたパズルは今も継続して繋がっているよ。
どう?ちょっと会ってみたくなったでしょ。
それならハサミは完全に机の引き出しにしまっちゃおっか。
1階に落ちた制服もそろそろ親が取りに行ってくる頃だし。ちゃんと投げた事謝るんだよ。
それじゃあ
10年後の快晴の下で待ってるね。
いわしのなかみ
2019年12月24日火曜日
2015年10月1日木曜日
人生山あり谷ありモハメド・アリ

浅尾いにお原作『おやすみプンプン』のヒロインであり、悲しい人生を送る少女である。その最後は悲痛であり、しかし彼女自身の中では幸せであった。そしてひたすら彼女の存在が主人公プンプンを生かし、狂わせ、情を持たせる存在として作品に描かれていった。
彼女はリーダー的存在として目立つわけでもない。決して協調性があるわけでもない。ただ彼女の生きる存在こそが周りに影響を与える存在となっているのだ。私は「生きる存在の影響力」に魅了され、好きになっていった。
しかし、結局彼女はあっさりといなくなってしまった。そこで主人公の成長物語はいったん終了。ひとしきり主人公が悲しみに暮れた後は、新しい人生を歩むために前進していく、と同時に徐々に彼女の思い出も薄れていく・・・。
浦沢直樹の漫勉を見てから衝動でプンプン全巻を借り(2回目)読んでは憂鬱になりまた読んで憂鬱になることの繰り返しをしている。
物語は言ってしまえば結局みんなハッピーエンドになる結末である。多分そう解釈して間違いないはず。だけどもとてつもなく悔しい気持ちになる。なんでこうなったのかなーと。人死にすぎだなーと。
ただ2巡目にして少しずつ話が分かってきた。この物語は主に主人公の成長物語であるが、「主人公が過去に愛した思い出と、その後を綴った物語」というわけでなく、「主人公が成長する(大人になる)ためのきっかけとなった思い出の物語である」と解釈すべきことがわかった。(だめだ!語彙力がない!自分でもどう表してよいのかわからない!)
つまり主人公の最終的な視点は彼女亡きあとであり、最後の最後に大人になった主人公は彼女の願いを裏切ってしまったのである。
そして、もうひとつわかったことが、主人公視点で読んだ今、愛子ちゃんが好きなことに変わりはないが、性格はプンプン寄りであるということだ。。
特定の人に影響されやすく、気にしすぎ、ストーカー気質になる。中学高校時代でも色々なことがあった。(ここでいう色々は具体的には伏せるが恋愛関係ではないことだけ言っておく)しかし1分1秒逃さず考えていたことも、大学に入った今、どうでもよくなってしまった。今がそれなりに楽しいからである。もしかしたら今1分1秒逃さず考えていることだって今後どうでもよくなってしまうのかもしれない。
しかしその忘れることこそが生きる上で必要なのだと思う。死んだらそこで終わり。ただそれだけのことなのに、こと細かく描写されているおやすみプンプンを読んでしまうとやりきれない思いでいっぱいになり憂鬱になってしまうのである。
そしてそれがクセになってくるのだ。
2015年3月12日木曜日
イルーナ戦記
タイトル通り、私がやっているゲームの話。
ゲーム制限、ネット制限されていた私にとって、スマホでゲームできることがどんなに楽しみであったか。エレメンタルナイツ、ぷよぷよクエストなど、短期間でゲームをやってきたがイルーナ戦記はなんだかんだで続いている。
ちなみに私のキャラクターはこちら。
名前はあえて伏せておくが、職種はクレリックでレベルは現時点で110。
可愛いので愛している。ほかにキャラクターは作らない予定。ただこのゲーム、用語が覚えにくくいつもフレンドさんに聞いたりしている。はたして完全に覚えられる日はくるのか、それとも覚えられないまま引退してしまうのか。とりあえずしばらくはパルルのサーバー1または2で静かにモンスター倒しています。
ゲーム制限、ネット制限されていた私にとって、スマホでゲームできることがどんなに楽しみであったか。エレメンタルナイツ、ぷよぷよクエストなど、短期間でゲームをやってきたがイルーナ戦記はなんだかんだで続いている。
ちなみに私のキャラクターはこちら。
名前はあえて伏せておくが、職種はクレリックでレベルは現時点で110。
可愛いので愛している。ほかにキャラクターは作らない予定。ただこのゲーム、用語が覚えにくくいつもフレンドさんに聞いたりしている。はたして完全に覚えられる日はくるのか、それとも覚えられないまま引退してしまうのか。とりあえずしばらくはパルルのサーバー1または2で静かにモンスター倒しています。
2015年1月4日日曜日
明けてた
2015年ですって。
バックトゥザフューチャーが好きでpart2の舞台が2015年だったから、とうとう来てしまったのだなぁと言う感じです。
今年の目標はものを落とさない、無くさない、こぼさない です。
健康で楽しい一年になりますように。
バックトゥザフューチャーが好きでpart2の舞台が2015年だったから、とうとう来てしまったのだなぁと言う感じです。
今年の目標はものを落とさない、無くさない、こぼさない です。
健康で楽しい一年になりますように。
2014年11月12日水曜日
後悔
忙しいことを理由にする人はよくない~なんて書いてあるコラムを見てからなるべく忙しいって言わないように決意していたのが大学入学当初だったのにいつの間にか「忙しい」「疲れた」「眠い」が口癖になっていてはてどうしたものかといろいろ考えている今日この頃。
ずっと受け続けている検定(資格?)があって、本当は先週に受け終わっているはずだったのに何もやるべきことが終わらなくて今回初めてお金を払ったのにもかかわらず会場に行かなかった。たぶんあの勉強の仕方だと不合格だったのかななんて憶測もできるけど、今思い出してみるとやっぱり少しだけ受けるだけ受けとけばよかったという後悔がある。決して就職に有利な検定ではないけれど、1番上の級を取りたかったな。2級のまま終わらせるのは嫌だ。半年後自信がついたらまた応募してみるか・・・。
話は変わる。大学の課題の写真を撮るために浅草に行った。平日なのに外国人が多くいたせいか混雑していた。課題の対象建築となった浅草文化センターは写真で見るよりも重みがある建物で、ビルの外観を各階に合わせて平屋のように装飾しているのではなく一つ一つのちゃんとした平屋を上に積み重ねているような外観だった(わかりにくいね)。敷地面積は比較的狭く、中は休憩スペースと題したフロアはベンチやテーブルがあるのではなくシアター形式になっており落語を見ながらパイプ椅子に座るという「これ本当に休憩スペース?」みたいな突っ込み要素があったり、トイレは普通はありそうな風で水を吹き飛ばすやつがなかったりと納得がいかないことが多かったが、唯一感心したのが7階の展望スペースである。上った時にはまあ案の定外人さんがいっぱいいたが眺めは最高だった。夕方の時間だったため夕日がアサヒビールに反射しているある意味(夕日と朝日)対比写真も撮れたし、上から見下ろす雷門と商店街を行き来する人の流れをぼーっと見ていていい街だなあ~と思って時間が過ぎた。帰りは一人で雷門をくぐり、食べ歩きをしながらお寺行って帰った。思った以上に発見が多かったので、課題があるとかないとか関わらずまたどこか一人で探索してみることにしよう。
ずっと受け続けている検定(資格?)があって、本当は先週に受け終わっているはずだったのに何もやるべきことが終わらなくて今回初めてお金を払ったのにもかかわらず会場に行かなかった。たぶんあの勉強の仕方だと不合格だったのかななんて憶測もできるけど、今思い出してみるとやっぱり少しだけ受けるだけ受けとけばよかったという後悔がある。決して就職に有利な検定ではないけれど、1番上の級を取りたかったな。2級のまま終わらせるのは嫌だ。半年後自信がついたらまた応募してみるか・・・。
話は変わる。大学の課題の写真を撮るために浅草に行った。平日なのに外国人が多くいたせいか混雑していた。課題の対象建築となった浅草文化センターは写真で見るよりも重みがある建物で、ビルの外観を各階に合わせて平屋のように装飾しているのではなく一つ一つのちゃんとした平屋を上に積み重ねているような外観だった(わかりにくいね)。敷地面積は比較的狭く、中は休憩スペースと題したフロアはベンチやテーブルがあるのではなくシアター形式になっており落語を見ながらパイプ椅子に座るという「これ本当に休憩スペース?」みたいな突っ込み要素があったり、トイレは普通はありそうな風で水を吹き飛ばすやつがなかったりと納得がいかないことが多かったが、唯一感心したのが7階の展望スペースである。上った時にはまあ案の定外人さんがいっぱいいたが眺めは最高だった。夕方の時間だったため夕日がアサヒビールに反射しているある意味(夕日と朝日)対比写真も撮れたし、上から見下ろす雷門と商店街を行き来する人の流れをぼーっと見ていていい街だなあ~と思って時間が過ぎた。帰りは一人で雷門をくぐり、食べ歩きをしながらお寺行って帰った。思った以上に発見が多かったので、課題があるとかないとか関わらずまたどこか一人で探索してみることにしよう。
2014年10月16日木曜日
sunrise & sunset
「ギターを弾いて歌っているのが好き」
演奏うまくないし歌も音痴だし声だって自分では大嫌いな声だけど、お世辞でもそう言ってくれる人がいるだけで、ギターを弾くようになってよかった、歌が好きでよかった、なんて思ってしまう。自分はあまり目立とうとするタイプではないけれど、何か人と違うことをしたがる人なので、周りの人と比べてギターを弾くことは一つのアイデンティティだと思っている。
そういえば、今、一番一緒に歌を歌いたい人がいる。私はギターを弾いてコーラスをして、その人がメインで歌う。二人とも音痴だからぐっちゃぐちゃになるかもしれないけど、次第に音が重なり合って合致したらこの上なく楽しく幸せな思いになるのだろう。できれば外がいいな。誰もいない青空の下に私とその人。レジャーシートを引いてその上に座って胡坐をかいてミニアコギをぽろんと引いて曲当てクイズをしたり、コードをじゃかじゃか弾いてメロディーを一緒に歌う。声がかれるまで歌い合いたい。
そうなる日を夢見て、明日も生きないと。
まずは文化祭のギター仕上げなければね。
平和で、心地よくて、いい気分になれる曲。今日だからなのかこの曲が頭の中で一日中流れた。
唯一年越ししたCDJ1011で年明けた後に最初に見たのが彼らだったなあ。懐かしい。
ラベンダーの香りをかいでも眠くはならない
昔あれほど嫌いだった金木犀の香りが好きになった。どうしてかはわからないがいわゆる大人になるにつれて嗜好が変わってくるとかそういう理由であろう。不思議だ。フジファブリックの赤黄色の金木犀という歌の歌詞の中に「赤黄色の金木犀の香りがして分からなくなって なぜか無駄に胸が騒いでしまう帰り道」という歌詞があるが、本当に金木犀の香りはいい意味で強烈で、香りを認識した瞬間から今まで考えていたことが一気に忘れ去っていき金木犀の香りに集中する自分がいる。その前に考えていたことは実はあまりどうでもいいようなことだったりして金木犀の咲く通り道を通った後には対外忘れてほかの考え事をしていることが多いのだ。割と自分を追いやったりすることが多い自分であるがその原因と思われる事は重大なことのようで実はそんなに重くなく、軽い空気のようなモノなのかもしれない。生きていればいろんなことがあるし今抱えている問題も後々考えたら思い出のほんの一欠片なのだろう。それでもああどうしようどうすればいいんだとまた無駄に頭を抱えてしまうから自分で自分の性格が嫌いになってしまうんだ。
本来ならここまで書いてしまったら下書きに入れているはずである。
私のブログは、結末を設定していない。書いていって思ったことがあればそれをどんどん上乗せしていく感じだ。たいていその終わり方だと上記のような文末になるのでなんだかネガティブだなーなんて一人で読み返しながら下書きに入れる。その繰り返しを何度かやっている。下書き欄を見ると一種の日記みたいな感じになってなんだかおもしろい。下書きの中で一番強烈なのは蝉について長文で書いた記事だ。とにかく私は蝉なんてこの世からいなくなれと思う大嫌いな存在なのでその思いをありったけ書いたら読み直していって気持ちが悪くなって来たので、文は完成しているのに投稿をしていないという超中途半端な状態でいる。いつか蝉嫌いが治った時にでもひっそり公開しよう・・・。
本来ならここまで書いてしまったら下書きに入れているはずである。
私のブログは、結末を設定していない。書いていって思ったことがあればそれをどんどん上乗せしていく感じだ。たいていその終わり方だと上記のような文末になるのでなんだかネガティブだなーなんて一人で読み返しながら下書きに入れる。その繰り返しを何度かやっている。下書き欄を見ると一種の日記みたいな感じになってなんだかおもしろい。下書きの中で一番強烈なのは蝉について長文で書いた記事だ。とにかく私は蝉なんてこの世からいなくなれと思う大嫌いな存在なのでその思いをありったけ書いたら読み直していって気持ちが悪くなって来たので、文は完成しているのに投稿をしていないという超中途半端な状態でいる。いつか蝉嫌いが治った時にでもひっそり公開しよう・・・。
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