2014年10月16日木曜日

sunrise & sunset






「ギターを弾いて歌っているのが好き」





演奏うまくないし歌も音痴だし声だって自分では大嫌いな声だけど、お世辞でもそう言ってくれる人がいるだけで、ギターを弾くようになってよかった、歌が好きでよかった、なんて思ってしまう。自分はあまり目立とうとするタイプではないけれど、何か人と違うことをしたがる人なので、周りの人と比べてギターを弾くことは一つのアイデンティティだと思っている。



そういえば、今、一番一緒に歌を歌いたい人がいる。私はギターを弾いてコーラスをして、その人がメインで歌う。二人とも音痴だからぐっちゃぐちゃになるかもしれないけど、次第に音が重なり合って合致したらこの上なく楽しく幸せな思いになるのだろう。できれば外がいいな。誰もいない青空の下に私とその人。レジャーシートを引いてその上に座って胡坐をかいてミニアコギをぽろんと引いて曲当てクイズをしたり、コードをじゃかじゃか弾いてメロディーを一緒に歌う。声がかれるまで歌い合いたい。


そうなる日を夢見て、明日も生きないと。
まずは文化祭のギター仕上げなければね。

 
 
 
平和で、心地よくて、いい気分になれる曲。今日だからなのかこの曲が頭の中で一日中流れた。
唯一年越ししたCDJ1011で年明けた後に最初に見たのが彼らだったなあ。懐かしい。

ラベンダーの香りをかいでも眠くはならない

昔あれほど嫌いだった金木犀の香りが好きになった。どうしてかはわからないがいわゆる大人になるにつれて嗜好が変わってくるとかそういう理由であろう。不思議だ。フジファブリックの赤黄色の金木犀という歌の歌詞の中に「赤黄色の金木犀の香りがして分からなくなって なぜか無駄に胸が騒いでしまう帰り道」という歌詞があるが、本当に金木犀の香りはいい意味で強烈で、香りを認識した瞬間から今まで考えていたことが一気に忘れ去っていき金木犀の香りに集中する自分がいる。その前に考えていたことは実はあまりどうでもいいようなことだったりして金木犀の咲く通り道を通った後には対外忘れてほかの考え事をしていることが多いのだ。割と自分を追いやったりすることが多い自分であるがその原因と思われる事は重大なことのようで実はそんなに重くなく、軽い空気のようなモノなのかもしれない。生きていればいろんなことがあるし今抱えている問題も後々考えたら思い出のほんの一欠片なのだろう。それでもああどうしようどうすればいいんだとまた無駄に頭を抱えてしまうから自分で自分の性格が嫌いになってしまうんだ。


本来ならここまで書いてしまったら下書きに入れているはずである。


私のブログは、結末を設定していない。書いていって思ったことがあればそれをどんどん上乗せしていく感じだ。たいていその終わり方だと上記のような文末になるのでなんだかネガティブだなーなんて一人で読み返しながら下書きに入れる。その繰り返しを何度かやっている。下書き欄を見ると一種の日記みたいな感じになってなんだかおもしろい。下書きの中で一番強烈なのは蝉について長文で書いた記事だ。とにかく私は蝉なんてこの世からいなくなれと思う大嫌いな存在なのでその思いをありったけ書いたら読み直していって気持ちが悪くなって来たので、文は完成しているのに投稿をしていないという超中途半端な状態でいる。いつか蝉嫌いが治った時にでもひっそり公開しよう・・・。